常州の歴史

常州市の歴史をたどると約2500年前に町が形成され、春秋時代の呉の季札が封ぜられた延陵として知られております。春秋時代の淹城や闔閭城などの歴史遺跡が残っている。西晋時代から近代にいたるまでの1700年もの間、都・府として栄え、江蘇南部の政治、経済、文化の中心地として「三呉の重鎮、八邑の名都」と呼ばれております。

南朝の梁武帝など、皇帝15名、状元(科挙制度の成績が全国一位の人)9名、進士1,333名等の偉人輩出の地としても有名である。清朝末期の文学者であり、思想家であった龔自珍は、「天下名士が輩出する地といえば、東南には常州に比類するもの無し」と賛嘆の句を詠んでおります。清代の康煕帝、乾隆帝は、この歴史のまち常州にあこがれ、幾度となく訪れ、また北宋の文学者である蘇軾も常州を愛し、終焉の地となりました。

常州では古く東晋の時代から櫛(くし)が作られ、明清時代でピークとなり宮廷用の高級品の産地として「くしのふるさと」とも呼ばれております。また、乱針繍や綿刺繍などの伝統工芸も無形文化財として登録されております。

近年では電気自動車や産業用ロボットなどの先進製造業を主な産業として栄えております。

(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

<歴史的建造物のご紹介>

天寧寺

天寧寺は西暦600年ごろに建てられた歴史の古い仏教寺です。全国重点寺で、また“東南の第一寺”と呼ばれ全国重点保護寺でもあります。清の乾隆皇帝が江南に視察した際に、3度焼香、祈願に訪れたことがあります。寺の建造物の中で天寧宝塔という13重の塔が目を引き、常州市のシンボル的な建物ですが、その他にも、例えば入口から最初の建物を通過しますと、両サイドに建物がある中庭に出ます。この両サイドの建物内部には、数百もの仏像が並んでいまして、縦横好きな順番で数え年と同じ数を数え、数え歳の所の仏さまが、その年の守り神となります。どんな神様かは仏像のしたに漢字で書いてあります。他にもインドから運ばれたという仏像や大小様々な像があります。

 

红梅公園

常州で一番大きな公園で、市民の憩いの場となっています。

 

红梅公園-红梅閣

紅梅公園内にある红梅閣は重要な道教の建物です。唐の昭宗時期(889-904)に建てられ、1000年以上の歴史があります。宋の時期には科挙試験の場所として活用され、その後は、道観になりました。現在の红梅閣は清朝で建て直したものです。この红梅閣は数多くの人材を育成したシンボルとして有名です。

 

红梅公園-文筆塔

文笔塔は南朝時代の482年に建てられた塔です。現在までに崩壊と再建を繰り返してはいますが、非常に価値のある文化遺産です。この塔は、神秘的な伝説を持つ古い佛教塔で 「塔の頂に華やかな光が現れると、常州辺りに必ず状元(科挙制度の成績が良い位)が現れる」という言い伝えがあります。北宋の大観元年に常州周辺から53名が進士に昇格し全国の5分の1を占めた際、皇帝が「太平寺塔」 から 「文筆塔」 に改名したとされています。

 

青果巷

青果巷は、常州の古い町の中の一つです。
明万暦年(1581年)前に建てられました。
青果巷は市内の運河に向かい多くの船が集まり、南北の果物の集散地でした。沿岸に各種の果物店が並び、当時は「千果巷」と呼ばれていましが、常州の方言で「千」と「青」の発音が同じで、いつしか「青果巷」と呼ばれだしました。

 

篦箕巷

明の時代から「篦箕巷」と呼ばれていました。昔常州の西郊外にあった八景の一つで、「篦箕」の取引が盛んでした。夜になっても、人の流れが絶ず、町の明かりも消えなく賑わっていまいた。「篦箕巷」の近くに京杭運河があります。これは隋朝の時代に作られた人口河です。この運河は、その後の歴代の王朝でも利用され、現在も中国の大動脈として利用されています。

 

西瀛里明城壁

西瀛里明城壁を作ることを命じたのは明の将軍、「湯和」という人物です。常州を守るためにこの城壁を作り、完成は1369年です。城壁の周囲は221.8メートル、高さは6.5メートル、幅は5.2メートルあります。城門は合計で七つあります。長い歴史の中で、何度も破壊されたので、洪武、成化、正德、康熙の時代に修復や立て直されました。1923年,火災防止のために、現在の場所に西瀛門を建てました。

 

文亨橋

文亨橋は常州の大運河にある三穴アーチ橋で、常州では一番長い橋です。1548年に建造され、周囲は49.2メートル、高さは9.92メートルあります。秋になると、夜に橋の三つ穴から、月の影が見え、「文亨穿月」といわれています。昔は南北に架けられていましたが、1987年に運河が改造したときに移設され、現在は東西に架けています。

 

瞿秋白記念館

瞿秋白は、1899年に常州で生まれました。彼は中国共産党のリーターと文化偉人として、500万字以上の著作が残されました。また、現在の中国語の音を覚えるために使われているピンインの原型を作りました。「瞿秋白記念館」には「記念館」と「瞿秋白の旧居」があります。

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